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WSI COMMENTARY Vol.1 No.3 (OCTOBER 2014-2)「新たな脅威は西か東か」


WSI Commentary Vol.1 No.3 (October 2014-2)
論題:新たな脅威は西か東か
著者:小泉悠(未来工学研究所)

9月5日、ウクライナ政府と親露派武装勢力の直接交渉により、ウクライナ東部でどうにか停戦が実現した。国際監視団など停戦履行のためのメカニズムが存在しないことは大きな問題だが、大規模な流血は当面、下火になっているようである。もちろん、これをより長期的な安定へと転化させることや、その上でウクライナの再建をどう進めるのかなど、課題は山積している。
さらに長期的な視野で見れば、今回の一件で冷戦後に(紆余曲折しながらも)続いてきたロシアとNATOとの協力関係は決定的な後退局面に入る可能性もある。以前からシリア情勢やミサイル防衛などを巡って両者の立場には溝が深まっていたが、少なくとも1997年のNATO=ロシア基本文書の精神にのっとり、互いを敵とみなすことはしていなかった。だが、9月に開催されたNATOサミットではロシアが仮想敵として再定義され、ロシアも年内に軍事政策文書「軍事ドクトリン」を改訂してNATOを念頭に置いた新たな国防方針を打ち出すと見られる。
しかし、このような動きに疑問を呈する声も上がっている。ひとことで言うと、「欧州でにらみ合っている場合ですか?」というところだろうか。
たとえばロシアの国営通信社RIAノーヴォスチは、「ロシアは新軍事ドクトリンにおいて東方の脅威にもっと真剣に直面すべきだ」という独フランクフルター・アルゲマイネ誌のシュミット記者の談話を掲載している。シュミット記者がいう「東方の脅威」とは、中東で猛威を振るうイスラム国(IS)のことだ。
今回のウクライナ危機が発生する以前、ロシアが最大の脅威と捉えていたのが、中央アジアの不安定化である。2014年中に米軍やISAF(国際治安支援部隊)がアフガニスタンから撤退することで、同国内でタリバーンなどイスラム過激派が力を盛り返し、1990年代末の「バトケン戦争」のように中央アジアにまで波及する(場合によってはロシア領内にまで飛び火する)というのがロシア政府の恐れるシナリオであった。
そこでロシアは旧ソ連諸国と結成した集団安全保障条約機構(CSTO)の強化を進めるとともに、自国領内で大規模な掃討作戦を実施することを念頭に様々な取組を進めてきた。NATOはせいぜい「軍事的危険」(将来の軍事的脅威に発展し得る状況。軍事ドクトリン2010年版より)であり、より差し迫った脅威は「柔らかな下腹部」に迫るイスラム過激主義だったのである。
これに加えてロシアが懸念していたのは、シリア内戦に参加しているロシア人イスラム過激派がテロリストとのネットワークを築いてロシアへ帰還してくることだった。そして、その懸念を極度に高めたのがISの躍進である。9月初頭、ISが公開したビデオはプーチン大統領を名指しし、チェチェンを含む全北カフカスを「解放」すると宣言していた。アサド政権の後ろ盾であり、北カフカスで長年、イスラム過激派との「対テロ戦争」を行ってきたロシアを、ISが明瞭に「ジハードの敵」と認識し、そう宣言したものと言える。
また、9月、CIS対テロセンターのノヴィコフ所長が述べたところでは、ISが核物質や核兵器関連設備を入手し、それが中央アジア経由で拡散するというのもロシア政府が恐れているシナリオであるという。
要するに、ロシアは中東と南アジアの双方からイスラム過激派が浸透してくる脅威にさらされていると言える。しかも、たとえばタリバーンの侵入で現地政府との内戦状態となっているところへ漁夫の利を狙うISが侵入してくる・・・などという事態になれば、シリアやイラクの様な複雑かつ凄惨な状況が生まれかねない。
そして、これはロシアにとってだけの脅威ではない。中東におけるもうひとつのロシアの同盟国イランや、中東の安全保障に深く関与せざるを得ない欧米はもちろん、中央アジアの不安定化が新疆ウイグルに飛び火することを恐れる中国にとっても、中央アジアにおけるイスラム過激派の伸長は深刻な脅威と言える。中東にエネルギー資源を依存する我が国とて、もちろん対岸の火事というわけにはいかない。
ロシアのラヴロフ外相が9月10日付『ロシア新聞』に発表した論文において、イラン、インド、パキスタンの正式加盟を近く認めることを示唆したのも、単に欧米との関係が悪化した反動というだけではなく、イスラム過激派の脅威に備えて大国間の結束を図ろうとしている可能性もある(そもそもインドの正式加盟など、中国にとってセインシティヴな問題をロシアがそう簡単に決められる筈もない)。
このような意味で、欧州正面においてNATOとロシアが再び軍事的緊張を高めている現状は不毛なものに思われてならない。それよりも差し迫った脅威がユーラシア大陸の南部で発生しているのであり、むしろこれに対処することを契機として、対立の収束を図ることはできないものかと望む。

 

※本稿は株式会社JSNの発行する『ロシア通信』2014年10月号に掲載された筆者の連載「動乱のユーラシア」第1回を許可を得て転載したものです。


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